土地利用計画と土地問題

土地利用計画の必要性が住宅問題、土地問題との関連で強調されるようになったのは比較的最近のように考えられています。戦後の住宅問題の展開の中で、土地問題が最初にとりあげられたのは、農地改革に刺激され、都市の宅地をめぐる権利関係の実態を明らかにするという形て行なわれました。しかし、その後の政治情勢の中で宅地解放は消え、次にとりあげられた時は地価高騰による住宅建設の阻害の問題としてでした。地価は敗戦後しばらく低迷していましたが、昭和26年頃より急激に高騰しはじめ、28年には住宅金融公庫の個人融資当選者が宅地取得難を理由に大量に辞退する問題があり、住宅政策の課題となって以来、次第に土地問題は大きな問題となってきました。そして、往宅問題は土地問題であるといわれるまでになってきています。そこで問題にされる土地問題は、用地取得難の問題であり、したがって地価高騰の問題でした。土地利用計画が、土地問題の中の課題としてとりあげられたのも、主として地価対策という観点からでした。昭和40年12月の宅地審議会の地価対策に関する中間答申では、地価問題を解決するためには大量の宅地供給を行なうことが必要であり、そのためには合理的土地利用計画の樹立が基本的課題であることをのべています。また、地価対策閣僚協議会でも、緊急措置として、宅地の大量かつ計画的供給、既成市街地の高度利用、土地取得制度の改善、土地税制の改正をうたい、さらに今後基本的に検討すべき事項として、土地利用計画の策定と、地価公示制度などによる地価の合理的形成をあげています。土地利用計画の必要性を、ここでは無秩序な市街化を防止し、適正な土地利用を促進することにより、地価の安定をはかるとのべています。しかし、土地利用計画の必要性と住宅問題のかかわりあいを地価対策のみに限定して考えるべきではありません。土地利用計画の機能は広汎であり、住宅問題との関係も、住宅問題の質的側画とより深いつながりをもっています。住宅問題の質的側面と土地利用計画の関係は、住宅問題の質的側面が個々の住宅の質の問題であるばかりでなく、住宅のおかれている都市環境の質や、住宅の群としての質として問題になってくることによって生じてきます。住宅群の質の問題は、住宅地の計画や建築物の集団規制の課題であり、住宅地のおかれる都市環境の問題は、住宅地の立地の問題としてとりあげられるべきです。

スポンサーリンク
土地

産業革命により、資本主義近代都市が急速に形成され発展した時期において、住宅問題がとりあげられ、その対策が次第に都市計画の発展をうながした事情の中に、すでにこのような関連がみられます。産業革命が最も早くおこり、したがって大都市への人口集中と、それにともなう量的、質的住宅問題も最も早く経験したイギリスにおいても、まず最初に行なわれた対策は衛生面からの対策であり、1848年公共衛生法はこのような対策でした。さらに、個々の住宅建築物および設備の最低基準を示した1875年公共衛生法によって、新しく不良な住宅が建築されるのを阻止しようとしました。しかし、資本主義発展期における質的住宅問題が、単に個々の住居建築物における質の問題ではなく、群としての不良住宅地区の高密、不衛生の問題であり、さらにそれをつつむ都市環境の問題でもある以上、対策も次第に都市計画的なものに発展し、地域の人口密度、空地制限、不適合用途の制限というような土地利用規制を行ない、地区としての居住環境を改良し、さらに都市全体の機能を維持し発展させてゆこうとするようになりました。1909年の住宅および都市計画法は、このような対策に統一的な制度的裏づけを行なったものです。
戦前の日本の質的住宅問題の展開と土地利用計画の開連も、ほぽ同じような展開を示しました。江戸時代よりひきつがれた裏長屋という庶民の居住形式は、明治期になると都市への人口の流入、経済、産業組織の変化に伴う失業者の増大などによって、ますます過密かつ不衛生な居住形態を生み出し、このような中から明治初期のコレラ、腸チフス等の流行が起こったのです。明治初期に行なわれた対策は、明治12年の廁構造並屎尿汲取規則や、明治20年のごみ処理に関する警視庁令のように、もっぱら衛生面よりする住居設備に対する規制でした。
明治末期、本格的な工業発展期に入ると、工業と住居の混合地区の形成、および組悪な過密労働者住宅街の形成などの問題が次々に起こってきました。これに対して、各地で建築取締規則が制定され、明治39年には建築条令起草が東京市長から建築学会に委嘱されています。これらの建築取締規則の多くは、衛生、防火等に重点をおいたものであったとはいえ、40年に制定された長屋構造制限には、単なる建築構造、設備に関する規定ばかりてはなく、その第3条に幅九尺の通路に面すること、屋後及び側面には、幅三尺以上の生地を存すること等の規定があり、建物の集団規制の萌芽がみられます。
大正8年に制定された都市計画法および市街地建築物法では、諸外国の制度の研完が進んでいたためか、建築線、高さ制限、用途地域制、甲乙2種の防火地区制、美観、風致、風紀などの地域地区制など、はじめからかなり整備された土地利用規制の制度をもっていました。これらの地域地区制は、昭和25年の建築基準法にひきつがれ、基本的変更のないまま半世紀の間実施されたのでした。
このように日本においても土地利用計画、土地利用現制は住宅問題の展開にともなって整備されてきたのです。一方で第一次大戦の軍需景気により、日本の資本主義も本格的発展期に入り、重化学工業地、都市業務地区などを形成し、都市人口は急激に増大し、住宅地の郊外拡張が起こりました。この時期に形成された郊外住宅地は、きわめて質の悪いもので、不良住宅地に転化し、日本において住宅問題が大きな問題としてとりあげられる契機ともなりました。さらに、大正12年の関東大震災以後、都市膨脹はいっそう進みスプロール現象が起こりました。このような大都市問題の発生と、諸外国における大都市計画論、田園都市論の影響もあって、日本でも大都市圏計画論、地方計画論あるいは無秩序な市街化を抑制しようとする郊外地統制に関する議論とが、はなばなしくくりひろげられました。大都市圏計画論では、市街化地域と非市街化地域の区分、緑地帯の設定などが強調され、昭和14年の東京環状緑地計画などの計画案が示されました。このような計画理論は、郊外地統制として東京、大阪等の市街地周辺部で広汎に行なわれた区画整埋および私鉄経営の郊外住宅地計画と結ぴついて、無秩序、無統制な郊外住宅地の形成を全体的な土地利用計画の中に組み込もうとしたものでした。これは、建築集団規制という部分的な土地利用計画と住宅問題との結びつきを一層進めたものといえます。しかし、この大都市圏計画論も第二次大戦の切迫とともに次第に軍事色の強いものに変貌してゆき、住民の福祉の直では具体化するにはいたりませんでした。戦後の住宅問題の展開は敗戦直後からの絶対的量的住宅難から質的住宅難さらには都市問題の中の住宅問題と進んできているといわれます。その当否は別として、居住水準あるいは居住環境というような問題が次第に前面におし出されてきて、土地利用計画、土地利用規制と住宅問題の関係が新しい角度で重視されるようになってきました。

土地
都市経済の住宅需要/ 時代と土地市場/ 公示価格/ 不動産取引価格の調査要領/ 標準価格地域/ 宅地開発事業の到達点/ 適地が不適地化する状況/ 住宅の適地条件/ 住宅立地と交通/ 住宅立地の特徴/ 通勤圏の拡大/ 通勤輸送と通勤混雑/ 通勤時間と通勤費/ 宅地開発と交通計画/ 都市再開発の要因/ 交通の混乱と公共施設/ 都市再開発の手法/ 都市再開発と業務施設/ 空間利用と開発価値/ 土地所有権/ 借地権および地上権/ 建物所有権と管理方法/ 都市整備の方向と再開発/ 土地利用計画と土地問題/ 土地利用計画と概念/ スプロール防止と広域土地利用/ スプロール規制と都市計画法/ 住宅地の土地利用計画/ 住宅地の立地条件/ 居住環境悪化の防止と土地利用/ 住宅地の密度規制と居住環境/ 住宅地の用途規制と居住環境/ 住宅地における相隣関係の規制/ 地価対策としての土地利用計画/ 土地利用の計画的促進/ 土地政策と土地税制/ 土地税制について検討すべき各面/ 固定資産税の評価の適正化/ 土地税制の方向/

       copyrght(c).土地の買い方ガイド.all rights reserved

スポンサード リンク

プライバシーポリシー